プロゼミで落ちた原稿、せっかくなので載せちゃいますm(__)m
人生語っちゃいました( ̄∇ ̄)

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各国語のラジオ講座が好きだ。

もとはといえば、中学1年生の時に聞いていた「基礎英語」。田舎の中学生にとって、発音記号は新鮮だったし、土曜日の英語の歌も楽しかった。2年生になったら「続基礎英語」を聞いた。当時はまだ3年生用のがなくて、東後先生の「英語会話」はちょっと背伸びしすぎだったような遠い記憶がある。

そして高校の入学式の前日くらいがたぶん月曜日だったのだが、その年度の初回の放送を全言語聞いた! それが今の私の生活の原点になっている。高校に通っている間は部活が忙しかったこともあり、各国語の講座を聞く余裕などなかったが、全言語制覇したい! という欲望はふつふつと私のこころのなかに残っていた。

現役で東京の大学に入ったのはいいのだが、田舎でちょっと英語が得意と思っていたのと都会の子との情報量の格差に愕然とし、入学してすぐ語学コンプレックスに陥った。1年の最初の授業からドイツ人に習えた第2外国語はともかくとして、英語はまじめにやった覚えがない。今でも正直いって英語にはコンプレックスがある。なんたて英検3級だし。中2で4級、中3で3級。4級の時は満点近くて盾をもらったけど、高校以降は英検を受けずじまいだった。それでもドイツ語はそこそこ好きでドイツ人の先生にはなついていたし、1年下のフランス語クラスに聴講に行くなど、「英語以外」の語学にちょっとしたこだわりを持っていた。

2つめの大学は音大だった。オーケストラで打楽器をやりたくて音大に行こうと思ったのだが、なぜかもともとやっていた伴奏の勉強をすることになった。しかもひょんなことから歌の伴奏をやったらいいよという話になって大学院ではフランス人の先生にびしばし伴奏法のレッスンで鍛えられた。「ノブエは知性と感性と想像力があるから、歌の伴奏で成功する可能性がある」と言われてその気になった……はずだった。

何しろフランス人の先生がフランス語でレッスンをなさるし、演奏会の譜めくりをしろといって突然フランス語で電話をかけてくるし、で、フランス語を少しはやらないといけなくなった。私の研究テーマは「伴奏者とソルフェージュ」ということで、伴奏者にとってはピアノの演奏能力とソルフェージュ(専門家としての基礎能力とでもいおうか)、そして語学が必要だよね、というお手紙みたいな論文を書いて大学院を出してもらったのだけれど、卒業後になってやっとフランス語学校に通い始めた。語学と音楽の関係、というのを念頭におき、詩がストレートに自分のこころに入ってくることを目指していた。そしてフランス語学校だけでなくドイツ語学校にも通うようになった。

当時私は一流の打楽器奏者の伴奏をさせていただく機会が多かったが、声楽科の友人の伴奏もしていた。それでもイタリア語学校は高いから行けなくて、フランス語学校とドイツ語学校に行くのがやっとだった。そうこうするうちに卒業した科の研究室で非常勤の助手をするようになり、拘束時間がいまいち都合悪くて、演奏活動がしにくくなってきた。というか助手の仕事は忙しいのだがそれ以外がヒマになってしまったのだ。まぁ仕事がない間に勉強しようかね、と語学を頑張っていたのだが、ちょっと頑張りすぎたかもしれない。ドイツ語の方にどっぷりハマり、普通にやっていたら数年ごとに受けるような試験を毎年続けて受け、あっという間に上級コースに入ってしまった。しかも集中コースを受けた。もともとドイツ語を読むより聞く方が好きだったから、音声中心の勉強をしたくて、なんとそのすぐあと通訳コースに入ってしまった。準備コースの間はドイツ語だけだが、1年ほどやったあともう半年ドイツ語だけのクラスにしてから日独二カ国語のクラスに行こうと思っていた。ところがレベルチェックを受けたら「早く二カ国語コースにいった方がいい」と言われてそのまま二カ国語コースに入ったのだった。

ドイツ語の能力自体がちょっと低い状態で二カ国語コースに入ったので、それはそれは苦労した。助手の仕事もストレスが多かったのだが、二カ国語コースに入った時の先生がとても厳しくて、「あなたの問題は、ドイツ語だね!」とはっきり言われ、辛くて辛くて、仕事のストレスかドイツ語のストレスかわからないが帯状疱疹にかかったりもした。でもその辛い時期がいちばん伸びた時期でもあるので、それはそれで感謝しているのだけど。

インターネットがはやり始めたのは、私がドイツ語学校に行き始めたあたりだっただろうか。私にとってネットやガジェット類は、語学学習のためのものだった。ドイツ語学習関連のホームページを作り、リンク集を公開し、ドイツ語と日本語を同一文書に混在させることなどいろいろ研究した。「マルチリンガルWebガイド」なる本のドイツ語の項目の執筆協力もした。Joeというペンネームで、ケータイやガジェット類を語学学習に使うことについて、ずいぶん記事を書いたっけ。今はブログに移行しているけど、あの頃書いていたものの方が面白かったな。どんどん技術が進んでいくのを肌で感じていたような記憶がある。通訳コースの友人にも「あなたがJoeさんだったの」とよく言われた。ドイツ語関係者にはちょっとは知られたページだったのだ。

そして「ちょっと始めるのが早すぎたのかもね」と先生方に言われながらも、何年も通訳コースに通った。演奏活動はじり貧になっていき、助手の仕事もうまくいかなくなり、学生時代からわずらっていたうつ病が悪化して退職。私立の音大で非常勤講師としてソルフェージュを教える仕事に転職した。今から思えば、演奏から教育に完全にシフトしたのもいけなかった。うつ病と闘いながら、だましだまし仕事をしていたが、演奏という自分の軸がなくなってしまったのがいけなかったのだろう、一時期はよくなっていたものの、ついに耐えられなくなる日が来た。教える仕事は大好きだったのに、助手時代のトラウマがぶり返して、学期末試験の日に学校で倒れてしまったのだ。その直前まで元気で、聴覚を研ぎ澄ませ、自分史上最高のテンションで授業をしていて来年度も頑張ろうと思っていた矢先だったので、ショックは大きかった。

幸い非常勤で次の年度の授業までは時間があったので、なんとか自力で立ち直り、クリニックにも通うようになって、4月からの授業には復帰できた。前期の授業は休講も遅刻もいっさいせず、どうにかこうにかやり抜いた。でも前年度末の感覚の鋭敏さは戻らなかった。鈍くなっていた。辛かった。当時の診断は「うつ状態」だったようだが、死にたいという気持ちもあった。夏休みになんとか復活しようとしたがどんどん悪くなる一方で、一度実家に帰って相談し、この年度を乗り切ったら自分から退職しようかという話をしていた。

そして9月になった。第2週から後期の授業が始まる、というところになって、完全に動けなくなり、やむなく後期の休職を決めた。父が上京してきてくれて、いったん実家に帰るだけのつもりだったのが、急に東京の住まいを完全に引き払うことになった。つまり、もう仕事には復帰できないということだ。下関に引っ込んでしまったら、もう東京に出てくるお金も気力もない。ピアノの置けるところに住むのは大変なことだし。東京を離れたら負けだと思っていた私は泣いた。連れて帰ると決めた父を恨んだりもした。

そんなこんなで下関の実家に帰った当初は精神的にもめちゃくちゃ荒れていて、入院こそしなくてすんだものの、毎週病院に通う以外は家でずっと寝ている日々だった。なんで東京の家を引き払ったんだ、残りたかったのに、と無茶を言っていた。何もやる気が起こらなかった。

そして数ヶ月たった2009年1月頃、ラジオで「まいにちロシア語」という講座をやっているのをみつけた。ロシア語への憧れはずっとあったのだが、東京にいる間は最長3週間、最短3日で何度も挫折していたのだ。このときの先生は黒田龍之助先生。イケメンなのは知っていた。講座は「かたつむりの中級編」といって、ゆっくりゆっくり進むのが特徴だった。ラジオ講座はもともと好きだから、時間が来ると、母の目覚まし時計がわりのラジオのじゃりじゃりした音声で聞くようになった。中級編だからわからないことだらけだったが、それでもなんと、3ヶ月続いたのである。

2月始めにはCDつきラジオを買ってもらった。USBメモリに録音できる機能もあった。時代は進んでいたんだね。録音したらmp3ファイルができる。それをiTunesに登録して管理することも覚えた。

2009年度からは本格的に各国語の講座を聞くことにした。レギュラーの講座は全部聞いていたのではないかと思う。ハングルはわりとすぐやめたけど。前週の放送をストリーミングで流してくれるようにもなったので、ずいぶん楽になった。当時はまだ「らじる★らじる」はなかったけど、インターネット経由でストリーミングのきれいな音声を聞けるようになったのはすごくよかった。各国語のテキストを買い、各国語のキーボード配列をMacBookで覚え、あっという間に本棚が各国語のテキストで埋まった。その後ScanSnapでスキャンして断捨離したけど、テキストが増えるのは困りものだ。

震災後の9月だったか、「らじる★らじる」が始まり、ネット経由でNHKラジオが聞けるようになった。タイマー録音できるソフトもみつけた。そうこうするうちに基礎英語や各国語のテキストも電子版が出て、本棚のテキスト地獄は解消された。いまはhontoで買うことに決めている。KindleやKoboでも売っているが、これだとほかにもいろんな書籍を買うので履歴がぐちゃぐちゃになってしまうから。hontoのアプリはシリーズごとにまとめて表示してくれるし、hontoで買うと割引クーポンが使えることもあるのでここに決めた。もちろんノート代わりに書き込むには紙のテキストがいいのだが、私はいまほとんど時計がわりに聞き流している感じなので、電子版をたまに見るので十分なのだ。

そんなわけで、ドイツ語学校の通訳コース時代のトラウマを抱えつつも、語学講座を聞くことは趣味に徹している。その方が楽しいから。田舎にいたら語学学校なんて行けないから。英会話学校なら近所のショッピングセンターにも入っているけど、ドイツ語・フランス語でさえリアルな学校に通うことができない。東京にしがみついていたのは語学学校に行くためでもあったから、田舎に引っ込んでしまった以上、ラジオ講座メインで趣味で楽しむだけになってしまうのはしょうがない。そのかわり、ドイツ語・フランス語・英語だけでなく、イタリア語もスペイン語もロシア語もいろいろ聞いて楽しめるからいいことにしている。ロシア語はかなりハマって参考書をがっつり買い込み、もし東京にいたらロシア語学校に通ってしまいそうな勢いだったこともあるが、黒田先生が行っていらした「ミール」という代々木の学校は閉校してしまったらしい。東京にいる間に通えていたらよかったなぁとは思うが、時代の流れだからしょうがない。

今はほとんど時計がわりでお気楽に聞いているだけだが、音声中心の語学学習というのは本当に楽しい。もっとやる気が出てきたら、インターネットで各国語のニュースなどの音声を聞くのにも復帰したい。ドイツ語のニュースを聞くのは通訳コース時代の痛みがよみがえるので辛いが(といってもほかの言語よりはすっと入ってくる)、いつかはロシア語のニュースがす〜っと聞けるようになりたいな、と思っている。

そうそう、ガジェットといえば、iPod touchを買ったのも語学のためだった。iPhoneアプリに各国語の辞書アプリがあるのだ。iPod touchでも使えるので、薄くて軽い辞書としてiPod touchを持つのも悪くないと思う。アプリの辞書は紙のより安いものも多い。独和大辞典なんてのもある。ドイツ語学校に通っていた頃、みんなで重たい重たいといいながら抱えて歩いた大独和。それが手のひらにすっぽり入ってしまうんだから、いい時代になったものだ。

ああ、また語学をやりたくなってきたよ。
田舎に帰って音楽の仕事からは完全に離れてしまったけれども、日本語の文章を書くことと語学学習は、年をとっても続けたいな。

語学学習のホームページももう少し拡充しようかな。田舎にいても各国語学習を楽しめますよ、ってスタンスで書いてみたいな。

Joe's HomePage へようこそ!


おわり
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Kategorie:ラジオ講座・語学, 23.05.2018 14:14 JST

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