ほんとはREADING LIFEに載せてもらえるように書いたんですが落選したので。゜(゜´Д`゜)゜。
トドちゃんのことを書いた原稿を載せます。
今日はのぐっちゃんの月命日なので、天国に届くように……

ではどうぞ

=====

トドちゃんの月命日に

毎月25日は従妹と旧友トドちゃんの月命日である。

トドちゃんは年は同じなんだけど浪人したから大学オケで打楽器パートの1年後輩だった。うちの代は私ともうひとり小柄な男の子の二人で、その下に

でかいのが入ってきた!

マーラーが大好きで、新入生歓迎コンパの時もずっとマーラーマーラーと言いまくっていたらしい(私は途中で切り上げたので、紅一点がいなくなってからの惨状は知らない)。そして図体と態度のでかさから

トド

という名前がついた。私の上の代の二人はたぬきに似てるから「たぬ」ちゃん、飲んでも飲んでも変わらないから「ざる」さんと呼ばれていたけれど、次にトドが入ってきた。

……動物園かよ

ちなみに私は「おじょー」。美空ひばりじゃないよ。トレーナーの先生が、打楽器パートに19年ぶりに女の子が入ってきたからというのでつけてくれた名前。それ以来大事にしていて、パソコン通信のハンドルもJoeにした。後輩が入ってくる時に、先輩のことはさん付けで呼ばないといけないから「おじょーさん」になったんだけど、先輩たちからは「お嬢さんじゃないから、おじょー、なのになぁ」とブーイングがあったっけ。

……いや、私のことはどうでもいい。トドちゃんの話を続けよう。

トドちゃんは不器用ではあったが音楽とオーケストラが大好きで、いいやつだった。性格のよさがわかったのは卒業してからだったけど。在学中は、トレーナーの先生に叱られてばかりで、もっと教育しろ、みたいなことを私の代に言われていたので、あんまりいいやつだとは思ってなかったけど。

トドちゃんの誕生日は8月21日で、1年上のたぬちゃんの誕生日が8月31日かそこらだった。ざるさんは早生まれで翌年1月、うちの代は二人ともその年の5月。トドちゃんが1年生の時の8月21日ちょっと過ぎに、オケの合宿で室内楽大会があったんだけど、たぬちゃんが誕生日前ということで5人全員ハタチという奇跡的な瞬間を迎えたのだった!

なのでその時の団体名は「みんなハタチ」

打楽器アンサンブルで何をやったか忘れたけど、「みんなハタチ」という名前だけは昨日のことのように思い出せる。

トドちゃんが2年生の時は、夏の演奏旅行に付随している音楽教室でくるみ割り人形の組曲をやった。私はチェレスタをゲット。トドちゃんはティンパニだった。トレパックというロシアの踊りの曲で、ティンパニが後うちするところがあるんだけど、練習でトドちゃんはいつも合わない。みんなに、ティンパニ遅れる遅れる、といって文句を言われる。だからトドちゃんはいっしょうけんめい、ほんとにいっしょうけんめい、速くしよう速くしようとがんばっていたんだ。

それでも合わない。

チェレスタ担当で金平糖の踊り以外は出番のない私は部室にこもっていたのだけど、業を煮やした指揮者か音教委員だかコンマスだかに「おじょー、なんとかしろ」と呼び出された。しょうがないなぁ。そしてトドを観察した。

じ〜〜〜〜〜〜〜

トドちゃんいっしょうけんめいいっしょうけんめい速くやっている。

「おい、トド、抜いてるよ」

そう、速くやろうやろうとしてトドはオケより先走っていたのだ! そりゃ合わないに決まってる。抜いてるのがわかってみんな大爆笑。トドちゃん苦笑い。それからは上手にできるようになった。過ぎたるは及ばざるがごとしとはこのことだ。

その年は下関が最終公演地だったので、打楽器パートの大半と、なぜかチューバの先輩が我が家に泊まりに来た。そのためもあって我が家は新しく建て直して泊まれる部屋を作ったのだ。3月くらいに出来たけど、私が帰って泊まったのがまだ6日めくらいのときに、演奏旅行後のご一行が泊まりに来た。よく食べるやつが7人来る、というので大量にとんかつを用意してたけど、トドちゃんもみんなも実はそんなに食べなくて、その後数日我が家のおかずはとんかつだった。私が怖がっていた父ともみんな仲良くお酒を飲んでいたっけ。「おもしろいお父さんじゃん」とトドちゃんに言われたことを思い出すよ。

そして私が4年の時の最後の演奏会はマーラーだったんだけど、パートリーダーをやっていて合宿まで出たのに、9月になってから私は演奏会を降りることにした。うつ病を発病したのもその頃だったか。卒業と同時に藝大の楽理科を受けることに決めていたのでその受験ノイローゼ? もあったのかもしれない。合宿でも実はぼろぼろだった。だから降りた。その後を引き継いでくれたのがトドちゃんだ。マーラー大好きっ子だから、ティンパニになって文句はなかったに違いない。私がやるよりよかったに違いない。でも私にとってはその演奏会のことがずっと心の傷だった。

それでもトドちゃんは卒業後も明るく接してくれた。現役OBあわせた飲み会の時には、太ってしまったわたしの腿をたたいて「みてこれ、ぱんぱんじゃん、この年になったらもう戻らないんだよ!」なんて言ってたっけ。いちおう私は先輩なんだけど、トドちゃんにしてみれば同い年感覚だったらしい。

そしてトドちゃんはだいぶ年をくってからきれいなお嫁さんをもらった。二人で写った写真も送ってくれた。トドの好きそうな顔だな、と思ったことだった。

月日は流れ、私は音大で働いたもののうつ病が悪化し、下関の実家に帰って隠遁生活をしていた。ある夏の日、それはトドちゃんの誕生日を少し過ぎた8月25日だったのだが、昔トドちゃんたちが泊まりに来た部屋で、母とごろごろしていたら、庭に面した網戸にツクツクボウシが止まって、つくつく鳴いていた。その年初めてのツクツクボウシだったような記憶がある。「なんやろねこの子、こんなとこ止まってから」なんとなくこっちをじ〜っとみているツクツクボウシを「ぴん」と指ではじいたら、ぶ〜んと飛んでいった。

トドちゃんが急逝したと知らせがあったのはその二日後だった。8月25日に、ご家族が出かけてひとりで家にいたトドちゃんが、ご家族のいない間に心筋梗塞で亡くなったというのだ。鍵が閉まっていて、2階の窓から入って中を見たら死んでいたという。警察が来て大騒ぎになったそうだ。詳しいことは知らないけれど、エアコンのない2階でパソコンをいじっていて暑さにやられたかなんだからしい。ご家族が出かける時はにこやかに「ばいば〜い」と言っていたというのに、それが最後になったらしい。

8月25日に、亡くなった。
ツクツクボウシが来た日だ。

トドちゃん、ツクツクボウシになって、私のところにも挨拶に来てくれたのかな。と思った。

それ以来、夏の終わりにツクツクボウシが鳴くと、トドちゃんが死んだ日のことを思い出す。挨拶に来てくれたツクツクボウシくんを思い出す。

トドちゃんが泊まりに来たことを覚えていた父に、あのでかいのが亡くなった、という話をしたら、「命は大切にせんにゃいけんど」と言われたっけ。

それ以来、毎月25日はトドちゃんを偲んで月命日のお茶をすることにした。

そしてその1年半だか2年半だかあとの2月25日に、3年ほど闘病していた従妹が亡くなった。トドちゃんと同じ25日だ。

だから25日の月命日はお線香をあげ、トドちゃんと従妹を偲んでゆめシティでお茶をしている。思い出してあげることが供養になるというから。

そんなわけで今日、2018年12月25日もスタバでお茶をして、この文章を書いて、トドちゃんと従妹と、おととしからばたばたと亡くなった両親へ思いをはせているところだ。

トドちゃん

天国でも太鼓たたいてますか。

私は太鼓やめちゃったし音楽もできない状態だけど、もう少し元気になったら仕事するからね! 見守っててね! うちのお父さんとも、時々は天国でお酒飲んであげてね。従妹とママもよろしくね。

トドちゃん、どうぞ安らかに。

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Kategorie:四方山話, 02.01.2019 17:04 JST

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